序「夢見枕のエリュシオン」


一度、深呼吸をする。
次に目を開ける。
そしてゆっくりとあたりをみわたす。

目の前に広がる奇妙な光景。
黄土色の砂漠。
そこに立てられた十字架。
うっすらと白い霧が足元を駆け抜ける。
空では白と赤のリボンが雲を結んでいる。
ぐにゃりと曲がった時計は宙に浮いていて。
何時をさしているか分らないほどに曲がっているもの、
はたまた歪みがなく、一見普通の時計に見えるもの。
ばらばらに空に散らばっていた。

明らかに此処は普通じゃない。
普通じゃない世界に僕は今存在している。
口角が自然と上がるのが分った。
今日も成功だ。
僕はこのことに関しては失敗したこと無い。
といっても成功とか、失敗とか関係ないのかもしれない。
この世界に入り込めるか、追い出されるかだ。

さて、と一息ついて僕は砂の上を歩いてみる。
果てしなく同じ、しかし違う空間を僕は何も考えずに歩く。
しばらくあるいたところでぽつん、と小さな砂の山が十字架の横に合った。
砂場の山ぐらいの、小さな砂の山。
何を思ってか、僕はふとそれを蹴ってみた。
ボスっと鈍い音とずしりとした感覚、と共に砂の山が崩れる。
そこに小さな砂吹雪が少し舞って、やがて砂吹雪も消えた。

さらさらとした細かい砂が僕の靴に入ってくるのが分った。
こんな不思議な空間の中でも感覚はある。
まず歩ける時点で感覚はあるのだが。
だってある意味の現実。
僕とあの子が共有する現実。
現実である異空間。
心地はあまり良くないのかもしれない。

「悪趣味」

不意に後ろから幼い声がした。
あの子だ。
この奇麗で穢れを受け入れた世界の持ち主…否、製造者というべきか。
僕は振り返らない。
でも、あの子が返答を待っていると分ったから返答した。

「心外、悪趣味なんかじゃない。それとも嫌だった?」

ぐにゃりと世界が歪みだした。
まるで一回転、また一回転したように徐々に世界が廻りだす。
たとえるならばねんどをぐちゃぐちゃにしていくような。
たとえるならば絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜるような。
どろどろとしているのだがハッキリと混じっていく。
そんな感じだ。

「もったいない」

僕はつぶやく。
ぱちん、と世界はうるさくかすかにはじけた。
黒は消えて、白は解けていく透明な世界。
落とされた二人は取り残された。

「まるでエリュシオンみたいで素敵だったのに」
「エリュシオン?なにそれ」
「ギリシア神話で、神々に認められた英雄の魂が死後に暮らす楽園」
「ふーん、残念でした」

ぱんっと小さく少女が手をたたく音がした。
と同時にもう一度世界が縮小した。
ぐしゃりと一瞬にしてすべてが混じった。
後、紙をまるでつぶして広げたようにそこにはまた違う世界が広がっていた。
今度は真昼間の森林の中だった。
山の中のような森林。
小鳥の声や、獣の声も聞こえる。
まるで本当の森林。
しかし現実でない現実の森林。
心地よい太陽のぬくもりさえ感じれる。
先ほどの砂漠とは正反対の生き生きとした森林だった。

僕はそこで始めて後ろを向いた。
少女が「してやったり」、とでも言うかのように微笑んでいた。
僕は別に悔しくは無かったが、少し気に入らなかった。
僕があの空間を心地いいと感じたから少女は空間を変えたようだった。

「つぶしたんだ?」
「気に入らなかったから」
「僕は気に入ってたのに」
「わたしは気に入らなかった」
「僕が、気に入ったから?」
「混じっちゃうもの、それにわたしはこっちのほうが好き」
「ふぅん、でも」
「そう、もう今日はおしまい」

今作り上げられた世界がもう一度くしゃりと縮小した。
緑と太陽の光と土と木と、世界がまたぐにゃりと混ざりだす。
どろりと周りは廻る。
そして次はぼんやりとその世界が薄れだした。
ああ、今日も、また。

「また、明日」

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ぼくときみのなつがはじまる